萬翠荘・愚陀仏庵
城山の中腹にある萬翠荘は,大正11年(1922)旧松山藩主松平家15代当主,
久松定謨(さだこと)伯爵が別邸として建てたフランス風の建物である。昭和54年から
県立美術館分館となり,主に郷土出身美術家を顕彰する企画展示を行っている。

夏目漱石が松山中学校に英語教師として赴任していた時下宿していた上野家の離れを再現したもの。子規はここに一時居候して句会などを開いていた。
明治28年8月27日から10月17日までの52日間子規はここで,「俳諧大要」を書き,
当地の「日本」派俳句結社「松風会」会員約30名を日夜指導した。
漱石も,この宿を「愚陀仏庵」,自らを「愚陀仏」と称して,俳句に熱中した。
愚陀仏は主人の名なり冬籠 漱石
桔梗活けてしばらく仮の書斎哉 子規
この建物は,惜しくも戦災で焼け失せたが,「子規記念博物館」三階にその一階の部分が復元され,また昭和57年萬翠荘敷地内にも復元された。
なお愚陀仏庵滞在中,子規が試みた吟行の記録は,「散策集」として残されている。