昭和41年11月の石田波郷


 石田波郷は,温泉郡垣生村大字西垣生980番地に,父惣五郎,母ユウの次男として生まれる。本名哲夫。
 大正14年,松山中学校入学,4年生の時,同級生中富正三(俳優・大友柳太郎)のすすめで句作をはじめ,「二良」「山眠」と号した。ちなみに,大友は「如煙」「悠々」と号した。
 昭和5年余土村の五十崎古郷(秋桜子門)を訪ねて入門,古井古郷より「波郷」の号を与えられる。
 昭和9年俳誌「馬酔木(あしび)」編集に参加,この年入学した明治大学を中退して久保田万太郎を慕って句作に専念し,昭和12年9月,俳誌「鶴」を創刊して,主宰者となる。
 昭和44年56歳で死去。