鹿島


神の鹿島の若葉暉く港かな   霽月 (昭和10年)



 鹿島は,松山から約18km,北条市の沖合い400mの海上にぽっかり浮かぶ島である。
 周囲約1500m,海抜114mで北条港から連絡船で3分の距離である。
 島全体が国立公園に指定され,伊予の江ノ島,夕日の二見とその名をひろく親しまれている。
 鎌倉時代伊予の領主河野氏の海上防衛の出城として鹿島城があったが,天正13年秀吉の四国征伐で落城した。

 鹿島には,15の句碑・文学碑が建てられている。

鹿島 句碑・文学碑
1)御野立の 巌や薫風 二千年(村上) 霽月
2)神威曽て 斧入らしめず 嶋茂る(村上) 霽月
3)きりぎしの すがれる萩の 命はも (富安) 風生
4)妻恋の 鹿や木の間の 二十日月
舟虫の 遊べるに吾も 遊ぶかな  
(村上)壺天子
5)舟涼し 朝飯前の 島めぐり  (柳原)極堂
6)枯園や 昔行幸の 水の音     (松岡)凡草
7)この嶋に 起き来る潮や 初日影  (松永)鬼子坊
8)岩ありて天つ日ありて海ありて
伊予の二見はかしこかりけり
(吉井)
9)裏山に ひびく神鼓や 青嵐    (三由)淡紅
10)夕焼に 輝く波や 伊予二見    (富田)壺中
11)鹿に聞け 潮の秋する そのことは   (松根)東洋城
12)腰折れと いふ名もをかし 春の山  (仙波)花叟
13)春立つや 神うつそみの わたの潮  (尾崎)迷堂
14)浪風に 痩せゆく巌や 石蕗の花    (瀬戸丸)毛人
15)しづかなる 昂ぶり月の 鰡跳ねし   (山口)草堂


1)御野立の 巌や薫風 二千年   霽月
昭和9年5月7日の句。神功皇后が三韓征伐の途中に鹿島に立ち寄られ,神社に詣でて戦勝を祈願されたという故事にちなみ霽月が詠んだ。
頂上には御野立(おのだて)の巌(いわ)という大きな岩がある。
昭和37年11月鹿島老人倶楽部・北条出身松岡亮建立
2)神威曽て 斧入らしめず 嶋茂る  霽月
昔から鹿島は,句にあるように樹木を切ることを許さなかったので島全体が茂っている。
島の句碑のうち最も早く建立された碑である。大正11年春,霽月の門下三由淡紅(みよしたんこう)によって建てられた。
淡紅は北条出身である。水晶岩(石門)の近くの淡紅洞には,彼を讃えて命名された淡紅橋が架けられている。
鹿島神社に画入り句額を残した。
大正11年春 風早吟社  三由淡紅
3)きりぎしの すがれる萩の 命はも   風生
昭和46年10月16日 若葉五百号記念
風生先生句碑建設会  代表 森薫花壇
4)鹿島 二題
   妻恋の 鹿や木の間の 二十日月
   舟虫の 遊べるに吾も 遊ぶかな   壺天子
花崗岩検出の二句一基 珍しい形である。
昭和44年11月 吟社創立五十周年記念 風早吟社建立
5)舟涼し 朝飯前の 島めぐり  極堂
昭和9年6月10日,極堂が俳誌「鶏頭」の北条支部に招かれた時の句。 句碑は極堂生誕百年を記念し,昭和41年初夏,若葉吟社によって建てられた。
昭和41年5月4日(1966) 建立。
6)枯園や 昔行幸の 水の音   凡草
凡草は,本名政義,明治33年北条市辻に生まれる。仙波花叟に俳句を学び「渋柿」に入門。東洋城につき,昭和38年渋柿社主となり俳誌発行に尽力した。昭和58年1月没。
北条市渋柿会主催,松山市渋柿会後援により建碑。平成2年11月24日(1990)建立。
 
7)この嶋に 起き来る潮や 初日影   鬼子坊
松永鬼子坊は,北条市磯崎に生まれる。元風早吟社代表。元粟井小学校校長。句集「形骸」がある。
「昭和42年9月吉日  粟井吟社 風早吟社 建立」
8)岩ありて天つ日ありて海ありて
    伊予の二見はかしこかりけり   勇
昭和35年10月,全国を歌行脚の勇は,鹿島を訪れ,鹿島の裏側に浮かぶ千切鹿島の玉理,寒戸島の景観を賞して,この歌を詠んだ。
以来伊予の二見,夕日の二見と称せられ,毎年5月にはシメ縄が架けられることになった。
昭和47年5月、鹿島老人クラブ建立
9)裏山に ひびく神鼓や 青嵐   淡紅
淡紅は,絣の仲買を業とした人である。少年時代から霽月の薫陶を受けた俳人で,鹿島が今のように知られてない時から,虚子・碧梧桐・東洋城・月斗をはじめ著名俳人をしばしば鹿島に案内し,宣伝につとめ,回遊路を整えた鹿島開発の恩人である。
犬戻りに架橋したので,淡紅洞の名が残っている。
昭和55年7月13日(1980) 建立。
10)夕焼に 輝く波や 伊予二見   壺中
昭和44年7月 沖の島鳥居建立 鹿島老人倶楽部奉賛会
碑には,作者名が刻まれていないが,富田壺中の句であり筆である。
壺中は,鹿島老人倶楽部元会長。
11)鹿に聞け 潮の秋する そのことは   東洋城
松根東洋城のこの句碑は,島の南側水晶ケ浜の石門に近い崖の上に建立されている。
碑は高さ2m40cm 幅1m50cmの青石。昭和9年中秋 ヒラミン吟社
ヒラミン吟社(松田大童主宰,大正7年結成)は,渋柿系。
東洋城は,昭和2年以来俳諧指導のため度々訪れ,東洋城自身指揮をしてこの場所に建立した。鹿島第ニ番目の句碑。
昭和9年,東洋城は句碑除幕式に望み,

「薫風や我が墓一つここに亦」

と感想を詠んだ。
この碑石は,三崎半島の海底にあったものを引き上げたといわれる。
12)腰折れと いふ名もをかし 春の山   花叟 
鹿島から,腰折山を眺めることができる。
花叟は,明治7年温泉郡河野村(現北条市)の庄屋の家に生まれ,明治25年帰省した子規から文学の話を聞き,以来直接指導をうけ俳句の道に入る。
大正4年 風早吟社を創立主宰。 句集「笹鳴集」
皇紀二千六百年知友門下生建立。皇紀二六00年を記念して腰折山に正対の位置に建立した。
13)春立つや 神うつそみの わたの潮   迷堂 
昭和23年4月 ぬなは同人建立  代表者 井上春甫。
尾崎迷堂は,「ぬなは社」の選者。句は神奈川より来遊の時の作。
14)浪風に 痩せゆく巌や 石蕗の花   毛人
瀬戸丸毛人。俳人。風早吟社。碧梧桐,青木月斗等と交流があった。本名清学。
15)しづかなる 昂ぶり月の 鰡跳ねし  草堂
昭和53年建立。
鹿島と碧梧桐

鹿を呼ぶ頃の汐照り神凪に  碧梧桐 (明治43年)

明治43年8月14日,子規没後の日本俳壇を背負っていた碧梧桐は,北条市出身の三由淡紅主催の鹿島行に加わった。
「鹿島は北条の前僅かに一葦水を隔てる小さな島である。島は周囲一里も足らぬ小さなものであるけれども,おにぎり形のかなりの山をなしおって,比較的海陸の眺望に富んでいる。全山楠松などがこんもり茂っておる。それに昔から野生の鹿が沢山すんでおるのも不思議の一つに数えられつつある。」 (続一日一信)
この鹿島行には,霽月・為山・雷死久・花叟等一行十余名が参加している。


鹿島神社
鹿島神社には,多くの文人の遺墨が残されており,絵馬堂にはそれらの奉納額を見ることができる。
鹿を見ても恐ろしかりし昔哉     虚子
鹿舌秋草の上に赤く動く       虚子  (大正6年)

夜になる灯の鹿島吹きめぐる風    碧梧桐  (大正15年)
鹿祭せばふしうたをそげ潮音はんにも 碧梧桐  (昭和7年)

夕蝉や島影落る潮一葦        霽月
蒼海に生えて幾世の島の秋      霽月

春蝉の声引潮の音もなく       亜浪 (臼田)

鹿を呼ぶ翁あわれめ冬茂り      月斗 (青木)

来いよ来いよと鹿よびくるる島東風に 牛歩 (伊藤)

鹿笛を喉に蔵して春淋し       三充 (中野)

春雁の影を涵して島三四       知白 (斉藤)

崖に仰ぐまことや神の石蕗の花    迷堂 (尾崎)

なでしこも楠の茂りもかしこしや   風生 (富安)

青嵐全く酔を封じ去る        花叟 (仙波)

弥映ゆる楠の若葉や島の雨      小波 (巌谷)

御座船の舳に佇ち春の風       黙禅 (酒井)

無垢不染涼し磯岩路多毛登保留    鼠骨 (寒川)

船虫や松を下り来し鹿の眼に     千江 (厨川)