藤野 古白
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今朝見れば
淋しかり夜の間の
一葉かな |
(藤野)古白 |
明治4年 浮穴郡久万町に生まれる。名は潔(きよむ)幼名 久万男 子規の従弟である。母十重は,大原観山の三女で,子規の母八重は,観山の長女である。
東京専門学校(現早稲田大学)で坪内逍遥らに学ぶ。
十九歳で古白と号し,子規に学んだ俳句は清新な句風で頭角をあらわしたが次第に精神の安定を欠くようになり明治28年4月7日,25歳でピストル自殺した。この時子規は, 従軍記者として渡支の途上広島宇品にあった。
明治30年子規自ら「古白遺稿」を出版している。彼の墓は松山市郊外祝谷常信寺にある。
明治28年秋,古白の墓に詣うでてしばらくたゝずみ,
我死なで 汝生きもせで 秋の風
と弔句を捧げた。