法龍寺
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栗の穂の こゝを叩くな この墓を |
(子規) |
子規は明治28年,日清戦争従軍の帰国の船中で喀血,大患養生後に7月故郷松山へ帰ってくる。これが最後の帰省となったが,
この秋菩提寺法龍寺に父の墓を弔うた。
父常尚は明治5年子規が六歳の時,四十歳で病死した。
この句の前書に「法龍寺に至り家君の墓を尋ぬれば,今は畑中の墓地とかはりはてたるにそゞろ涙の催されて」とある。
この寺に設けられた寺小屋式の小学校「末広学校」(後智環学校と改称)に明治6年の秋ごろ,子規は三並良(はじめ)らと通った。
全校生徒103名,教官2名。