御幸 桜ケ谷 吉平屋敷跡



つくしけん 人のまことを にほはせて 
さくかむ月の はつさくらばな

(西村)清臣

 西村清臣(にしむらきよおみ)文化9年-明治12年(1812ー1879)
 歌人。松山城下の生まれ。幼時から文武を学び絵画・彫刻に秀で国学に造詣が深かった。特に和歌は,石井義郷の教えを受け,
 のち江戸海野遊翁,香川景樹に学んで地方歌人として名をなした。
 松山の歌人石井義郷(いしいよしさと)と同年の生れであるが、彼より30年も長生きし、その長男が井手家を嗣いだ井手真棹(正男)で
 正岡子規に短歌の手ほどきをした。
 この碑は、明治11年(1878)1月16日建てたもの。
 この碑文は、一千余字の長文で、清臣門下の青野清夫の書である。
 考子桜の経緯を擬古文で書いたもので、原文は清臣の作で、井手家に今も存在する。その結びにこの歌がかいてある。
 寛政七年(1795)1月16日、俳人小林一茶はこの地を訪れ、有名な桜を見ようと山中まできたところ、人々が大ぜいあつまっているので

   玉櫛笥(たまくしげ) 二名(ふたな)の島の むつみ月
                むつむや花の もとにつどへり

 の和歌を残した。