正岡子規 母堂令妹邸跡 :中の川筋緑地帯 (湊町4丁目)



母様に 見よとて晴れし ふじの雪

(子規)

 この家は,大原家が子規の母と妹のために新築してくれたもので,四畳と六畳の二間で,庭もなく手狭な庭であった
 明治21年(1888)5月14日,子規生い立ちの家から西へ約百mも寄った 16番戸(大原家屋敷内10番地内)に移った。
 明治25年夏,大学生の漱石がこの家を訪れ,子規の母が作った松山鮨(五目寿司)をおいしく食べたという。
 子規生い立ちの家は,明治22年売却,その後大正12年の冬取り壊され,一部の材は正宗寺内の子規堂用材として使われた。
 正岡母妹は,子規の勧めで,東京の子規宅へ転居を決め,明治25年11月 13日三津浜を出発,子規は神戸まで出迎え,
 京見物などをして 11月17日東京新橋駅に到着した。
 この日,詠んだ句が標記の句である。