東雲神社 (虚子,子規と能楽)

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父恋し 松の落葉の 能舞台 |
明治31年 虚子 |
虚子が九歳で家名を継いだ高浜の家は父方の祖母の実家で,虚子の曾祖父にあたる高浜高年は,藩侯の相手をつとめた下宝生(しもほうしょう)流の鼓・謡の名手であった。
また虚子の父池内庄四郎は,武芸の人であったが,謡にもすぐれ廃藩後は,藩の能楽保存に力を尽くし,東雲神社に春秋の能を催した。
虚子の能に対する愛着は,こうした誇りと,十八歳で失った父への思いにあった。
制約された舞台の演技として,基本の型に習熟し,自在の域に達する能は,十七文字の制約の中で季題の約束を守り,客観写生から花鳥諷詠への自在を得る虚子の俳句観につながっていく。
鼓鳴る 能楽堂の 若葉かな 明治25年 夏 子規
この句は,旧藩より続いている東雲神社の能を詠んだもの。
江戸時代他藩にまで,「松山に過ぎたるものが二つあり河原ぽいとに千秋の寺」と唄われた河原ぽいととは,東雲神社の能楽堂で行われる能狂言の役者のことであり特に有名であった。
明治23年の子規の筆まかせに,「郷里松山には,毎年ニ,三度づつ東雲神社において奉納能楽ありし故,余も時々見物に出かけたり」とある。