かすり会館



花木槿(むくげ) 家ある限り 機(はた)の音

子規


 明治28年10月7日子規が人力車で今出(いまず)の村上霽月を訪ねた日の記録「散策集」に「ここは今出鹿摺(かすり)とて鹿摺を織りだす処也」としてこの句が,

   「汐風や痩せて花なき木槿垣」

の句と並んで出ている。
 本来今出の地にふさわしい句であるが,その地に今日機の音きこえず機の音にふさわしい当地に昭和53年4月19日建立された。
 子規直筆拡大。

今出鹿摺(絣) 伊予絣は,天明2年(1782)今出に生まれた鍵谷カナが, 享和年間に藁屋根の煤竹の縄目の模様にヒントを得て考案したと いわれ,最初は今出絣と称されていたが,明治になって全国的に 普及するにつれて伊予絣と呼ばれるようになった。
今出(いまず) 菅原道真が九州太宰府に流される途中瀬戸内海を 航行中台風にあい今治の近くの桜井海岸に漂着した。
この後中山峠を越えて松山久保田村に滞在して村人に学問を教えていた。
都ではこれを知り勅使を派遣,道真に九州に行くように伝えた。
道真は,西垣生の浜から船出し,村人達はいまでる(今出)よと声を かけあい見送った。それ以来この地を今出と呼ぶようになった。
道真は勅使を近くの川まで出迎えたが,あやまって履が脱げたので ここの神社を履脱天満宮といいこの川を勅使川という。
亀石が道真を詠んだ句碑がこの天満宮にある。