河東 碧梧桐誕生地 (静渓邸跡)

静渓先生七回忌
桜散って 山吹咲きぬ 御法事 明治33年 (子規)
亡父静渓(せいけい)の十三回忌に帰省した時の句
豆の花も そこらの木々も 忌日かな 明治39年 (碧梧桐)
河東碧梧桐(本名・秉五郎)は、明治6年(1873)2月26日、父静渓の五男として、ここに生まれた。
静渓は、江戸「昌平学」に学び、帰松後「明教館」教授となり、廃藩後明治13年私塾「千舟学舎」を開いて、子弟の教育にあたった。
正岡子規をはじめ太田躬・竹村鍛・三並良・森知之ら「五友」がここで漢学の教えを受けたり詩会を開いたところである。
明治24年8月23日、柳原、森、清水らと静渓先生を囲んで三津で同窓会をしたとき、子規が先生を賛して次の短歌がある。
鉄路看落花 坤題
はちす葉ハ 濁れる水に 生なから いかてや露の 玉と見ゆらむ 西子
明治27年(1894)没。65歳。墓は碧梧桐と同じ西山宝塔寺にある。
父君に 嫁見せ申す 寒さかな 碧梧桐
明治36年正月帰省に墓参
三男・竹村鍛(きとう:号・黄塔)、四男・銓(号・可全)も、それぞれ俳句を通じ子規と交わる。
昔の侍屋敷で300坪ばかりもあり、十二畳の座敷から三畳の玄関まで十室くらい横長く続き、その南側には大きな池があった。
明治22年の夏と12月30日、子規はここの門前に当時17歳の碧梧桐を連れ出して素手でキャッチボールの要領を教えた。これが、子規と碧梧桐の交わりの発端であり、虚子もまた、碧梧桐にならって子規に近づいた。