浦屋雲林邸跡 (柳井町)



花木槿 雲林先生 恙なきや

子規


 明治28年10月2日の作。
 遺稿散策集に,「十月二日只ひとり午後より寓居を出て,藤野に憩ひ,大原に憩ひそこより郊外に出でんと中の川を渡り・・・」略
 このときの前書きに「浦屋先生村居の前を過ぎりて」とある。
 浦屋雲林は,天保11年(1840)に生まれ,松山藩につかえ小姓役から祐筆まで進んだが,維新後は私塾「桃源学」を開いて子弟の教育に当たった。
 子規は「五友」と共に14,5歳の頃から明治29年頃まで漢詩の作品をみてもらっている。子規より27歳の年長であった。 700坪という広い屋敷の庭には,約210坪の池があり,きれいな冷たい清水が湧き出ていたという。
 明治31年10月15日没。墓は衣山宝塔寺にある。

 「五友」とは,子規・三並良・太田正躬・森知之・竹村鍛(碧梧桐の兄)
 「藤野」とは,藤野古白の生家(母八重の妹十重の長男)
 「大原」とは,外祖父(母八重の父)大原観山邸


花木槿 花の咲いた木槿。学名は「ハイビスカス・シリアカス」。 中国,インド原産の落葉低木で普通生垣とし,また鑑賞用のため植えられる。 幹は直立して枝分かれし,色は灰白色で高さは3mくらいになる。 花は8月から9月に咲き,色は普通は紅紫色。