鳴雪先生 髯塔 (正宗寺)



風流のはや髭に出し去年の麦

子規

秋高く疎髯を撫して在すらん

霽月
(明治37年)

石鎚に又見る雪や鳴雪忌

霽月
(昭和12年)


 裏面に「髭塔 昭和3年5月建」とある。鳴雪は,大正15年2月20日没。三回忌に建立したもの。
 この塚も子規居士髪塔を設計した下村為山による。
 髯はあごひげのこと。正面の図柄の「あごひげ」がおさめてある。
 鳴雪と為山は,従兄の間柄である。

内藤鳴雪

本名 素行。弘化四年(1847),江戸の松山藩邸に生まれる。
南塘と号し漢詩文にすぐれ,常盤会寄宿舎監督となっていたとき
子規の影響をうけ46歳ではじめて俳句を志し,日本派の俳壇の長老として尊敬された。
老人梅居とも号した。
大正15年東京麻布の自宅にて八十歳で没。
辞世の句は

 「ただ頼む湯婆一つの寒さかな」