余土小学校(村上壷天子)



風邪の子や 父母の母の いとも母

村上(壷天子)


 壷天子(本名 万寿男)は,明治20年越智郡大山村泊に生まれ,長じて愛媛師範に進み,俳句を始めて,「渋柿」に入り松根東洋城に師事する。俳画に長じ,句集「綿津見」を刊行。愛媛教育文化賞を受ける。
 この句碑は,昭和27年余土小学校校庭に建立された。
 壷天子は,余土小学校に11年間勤務し,校長として余戸の住民に慕われた。
 除幕式で,彼は「この句を選びました心は,これが快心の作だとか,代表句だということではありません。もう20年前の作ですが,私は,母の愛ということを,身を犠牲にして子を愛するあの母の人間像を『風の子』を借りて詠じたものでした」と語っている。
 なお校庭には,余戸村長鶴本房五郎,森盲天外を讃えた頌徳碑がある。