一草庵
 |
|
|
 |
|
(種田)山頭火 |
漂泊の俳人種田山頭火の晩年の居室で、愛媛大学の城北キャンパスから北方約500メートル離れた御幸寺山の麓にあり、御幸寺境内の納屋を改造した庵である。
昭和14年(1939年)57歳のとき四国遍路の旅の果てに当地を終の住処として庵を結び「一草庵」と名づけた。山頭火は好きな道後温泉まで20分、ここで酒と句作三昧の日々を過ごし、本人の予言よりも10日生き延びて翌15年10月に生涯を閉じた。
現在松山市がこの一草庵を管理しているが、春と秋の年2回一般に公開される。
なお,この一草庵の西隣には,座禅で有名な龍泰寺がある。
句集「草木塔」には「わが庵は御幸寺山裾にうづくまり、お宮とお寺とにいだかれている。老いてはとかく物に倦みやすく、一人一草の簡素で事足る。所詮私の道は私の愚をつらぬくより外にはありえない。」と記している。彼の句は定型にとらわれない独特の表現で晩年も多くの句をつくったが、そのほとんどは未定稿のまま投げ出されていた.それを師の萩原井泉水が選んで「草木塔」に増補した句の中からの一つを掲げる。
おちついて 死ねそうな 草萌ゆる