松山JR駅前



春や昔 十五万石の 城下哉

(子規)


 明治28年(1895)の句で、誰にでもよく知られ松山のシンボルともなっている子規の句である。
 同じ句を刻んだ小さな句碑が,昭和24年4月,戦後の子規の句碑として,いちはやくこの松山駅前に建てられ,それが昭和28年市駅前へ,のち堀之内へと移された後,松山を代表する句ということで,再び,この大きな句碑が松山駅前中央広場に建てられたが,昭和55年8月,駅前広場改造工事のため,西北隅に移された。
 この年,子規の別の句に,「古白(本名・藤野潔)を悼む」と題して次の句がある。   

   春や昔 古白といへる 男あり   (明治28年)

 古白は子規の従弟で,この年ピストル自殺をした。
また,蕪村の句に「春やむかし頭巾の下の鼎疵」という句がある。
 蕪村好きの子規のことだから,おそらくこれにヒントを得たと思われるが,蕪村のこの句は子規とは相容れない古今集の中の在原業平の「月やあらぬ春や昔の春ならぬ わが身ひとつはもとの身にして」という和歌を下敷きにして出来た句なのである。
 また,司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」の第一部の冒頭に以下の文章がある。
 まことに小さな国が,開化期をむかえようとしている。その列島のなかの一つの島が四国であり,四国は,讃岐,阿波,土佐,伊予にわかれている。伊予の首邑は,松山。城は,松山城という。城下の人口は士族をふくめて三万。その市街の中央に釜をふせたような丘があり,丘は赤松でおおわれ,その赤松の樹間がくれに高さ十丈の石垣が天にそびえ,さらに瀬戸内の天を背景に三層の天守閣がすわっっている。古来,この城は四国最大の城とされたが,あたりの風景が優雅なために,石垣も櫓もそのように厳くはみえない。
(中略) 子規は明治28年,この故郷の町に帰り,「春や昔十五万石の城下かな」という句をつくった。(中略) 伊予松山の人情や風景ののびやかさをのびやかなままうたいあげている・・・ 
 子規自筆の拡大、昭和37年7月5日建之