中の川筋緑地帯

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我ひとり のこして行きぬ 秋の風 |
(野間)叟柳 |
| 「子規詞兄の東都に帰らるゝを送りて」 |
明治27年(1894),松山高等小学校の教員で結成した俳句会[松風会」の主唱者の一人野間叟柳(のまそうりゅう)は,この句碑からほど近い市内北柳井町に子規より一年おくれて生まれた。
明治28年3月16日清戦争従軍記者として戦地に赴く前に帰省した子規の壮行会が子規と松風会員との初対面であった。従軍から帰り,8月帰省した子規は27日漱石の仮寓(愚陀仏庵)に落ち着いた。会員の柳原碌堂(極堂)は,早速子規を訪問,俳句の指導を依頼,子規は欣然と承諾,松風会の 連中は昼夜この愚陀仏庵階下に集まった。
10月17日,帰京する子規の送別会を二番町の花廼舎で催した。
碑の句はその時の作である。この日子規「留別」の句に
「送られて一人行くなり秋の風」
がある。
19日三津浜から広島に出帆したが,17日三津久保田回漕店で船を待つ間に松風会員の句稿の選をした。子規松山最後の句稿である。
「十一人一人になりて秋の暮」
を松風会員への留別句として残した。