妙清寺



感無量 まだ生きて居て 子規祭る

(柳原)極堂


子規と極堂は,ともに慶応3年生まれ。松山中学で盛んに政談演説をやりあった。明治22(1889)年の頃,極堂は子規から「文友」とまで評された。
 明治27年,野間叟柳らが結成した「松風会」の会員となり,明治28年,子規帰郷の時は,連日の如く子規の指導を受け,9月20日午後は子規と二人で石手寺へ吟行している。
 明治30年子規と計って松山で月刊俳誌「ほとゝぎす」を発行した。300部刊行,やがて21号から東京の虚子に引き継がれた。
 昭和26年,子規五○年祭の年,85歳になった極堂は,「子規の話」を出版した。この句はこの中にある。
 明治35年子規に先立たれた彼は余生を,ひたむきに子規追慕の情をかたむけ,子規顕彰の一事に捧げた。
 昭和32年 10月7日 90歳で没する。

   吾が生は へちまのつるの 行き処   昭和32年10月1日  極堂