正宗寺

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朝寒や たのもとひゞく 内玄関 |
(子規) |
明治28(1895)年10月7日の「散策集」によると,今出の村上霽月邸に向かう途中同伴を欲し,一宿を正宗寺(しょうじゅうじ)に訪ねての句である。「朝寒」とは,秋になって朝方冷気を感ずることで「秋」の季語である。
子規が訪ねた時分に正宗寺の庫裏の内玄関で,「頼もう」と言った。其の声ががあんと響いたという句である。(虚子:子規句解から)
正宗寺住職仏海は子規の俳友で「一宿」と号し,この寺の庫裡の二階で松風会の句会も度々開かれた。子規も
「名月や寺の二階の瓦頭口」
と詠んでいる。
明治28年春,日清戦争に従軍記者として行く子規は,墓参りのため帰省した。松風会の会員と子規の送別会をした席で,会員の白石南竹が新派の俳句はどんな風にいうのかと聞くと,子規は室内を見廻してのち
「僧や俗や 梅活けて発句 十五人」
と詠み,その実感をあらわすのだと答えた。この「僧や」こそが「仏海」で,子規を入れて十五人出席していた。
一宿は,明治元年12月25日松山に生まれ子規より一歳年下,昭和20年11月24日京都妙心寺住職として没した。76歳。
子規の死の前日,明治35年9月18日,虫が知らせたのか,
「倒れんと案山子の動く嵐かな」
の句をそえて見舞いのハガキを送った。
これが子規生前の子規宛書簡の最後のものとなった。