正宗寺(子規と野球の碑)



打ちはづす 球キャッチャーの 手に在りて
ベースを人の 行きがてにする

今やかの 三つのベースに 人満ちて
そゞろに胸の 打ち騒ぐかな

子規


 ベースボールの歌(九首のうちの二首。新聞「日本」に明治31年5月24日発表)。若き日の子規はスポーツマンで,野球に熱中して「ベースボールほど愉快にてみちたる戦争は他になかるべし」と「筆まか勢」(明治21年)で書いている。
 子規には,自分の通称・升(のぼる)をもじった野球(ノボ−ル)という雅号もあった。これが恐らく「野球」という語の我国に用いられた最初であると言われている
 明治29年,新聞「日本」の紙上で,ベースボールについてのルールなどまで説明して,自分流の訳語も使用し,その中で現在使われている「直球」・「打者」・「走者」・「球(ボ−ル)」・「飛球」などは,子規が使いはじめで,子規はその文中で「ベースボール未だ訳語あらず,今ここに掲げたる訳語は吾の創意に係る・・・(以下略)」と述べている。
 碑の写真は子規が大学予備門の選手時代の明治23年3月撮影(子規24歳),明治22年碧梧桐に野球を教えたのが松山での草分けといわれる。

ベースボールの歌九首 (明治31年)
 −野球のプレイボールからフルベースになっていく進行を詠んだ−

  久方の アメリカ人の はじめにし ベースボールは 見れど飽かぬかも
  国人と とつ国人の 打ちきそふ ベースボールを みればゆゝしも
  若人の すなる遊びは さはにあれど ベースボールに 如く者はあらじ
  九つの 人九つの 場を占めて ベースボールの 始まらんとす
  九つの 人九つの あらそひに ベースボールの 今日も暮れけり
  打ち揚ぐる ボールは高く 雲に入りて 又落ち来る人の 手の中に
  なかなかに 打ちあげたるは 危かり 草行く球の とゞまらなくに
  打ちはづす 球キャッチャーの 手に在りて ベースを人の 行きがてにする
  今やかの 三つのベースに 人満ちて そゞろに胸の 打ち騒ぐかな