松山高等小学校(番町小学校)


春風や 闘志いだきて 丘にたつ

高浜 虚子

 大正2年碧梧桐の「新傾向」運動に反対し,俳句の伝統を固く守る立場を主張して自ら「守旧派」と称して新傾向運動に対抗して挑戦した。その時に詠んだ句である。
 平明で余韻ある句を求め,客観写生を唱え,やがて「ホトトギス王国」といわれる俳壇の一大勢力を形成した彼は,昭和2年ついに俳句を「花鳥風詠」の詩と規定するに至った。
 「花鳥風詠」とは,四季の移り変わりによって起こる天然現象とそれに伴う人事現象が「花鳥風詠」であり,俳句はそれを「風詠」する詩であるとした。「風詠」とは,心におこる心に起こる「詠嘆」のことであるともいっている。
 このようにして,以後の虚子の俳句観は,十七文字・季題という二大約束を守り,「花鳥風詠」を客観写生の立場で句作することで貫かれた。
 昭和55年4月を以て,「ホトトギス」はついに一千号に達した。