
松山藩士秋山久敬の五男として松山市内歩行町に生まれる。好古は実兄。
15歳で上京し、親友の正岡子規と下宿した。その後、明治19年海軍兵学校に入学し、同校を首席で卒業。日清戦争を経て米国に留学、マハン戦術(近代米国海軍戦術)を究めた。
日露戦争では、連合艦隊司令長官東郷平八郎の作戦参謀として活躍、日本海海戦ではバルチック艦隊を迎え、伊予水軍伝来ともいわれる「丁字戦法」を駆使し、意表を衝く敵前旋回で敵艦隊を撃滅し、戦局の大勢を決した。なお、この時掲げたZ旗の「皇国ノ興廃此ノ一戦ニ在リ各員一層奮励努力セヨ」の信号文は、真之の作である。
大正6年中将に進んだが、翌年病死。
この像は、石手寺境内にあったものを昭和43年9月に移転した。