種田山頭火


 明治15年(1882)-昭和15年(1940)

 山口県防府市に生まれる。本名正一。「山頭火」の号は,教師の萩原「井泉水」にならって運勢判断の「納音」(なっちん)によったものである。
 妻子を捨て,世間を捨て,行乞の人生を送り,自然と一体になり,自己にいつわらず,自由に一筋の道を詠いつづけた彼は,生涯約八万四千句を詠みすてた。
 放浪の俳人種田山頭火は、昭和14年10月松山にやって来た。
 松山の生んだ俳人野村朱燐洞を思慕し、彼の墓 参りを終えた彼は、その足で四国遍路に旅立った。
 12月念願の四国遍路を果たした彼は、高橋一洵 が見つけた御幸寺山麓、御幸寺境内の空家に落ち着く。

 わが庵は、御幸寺山すそにうずくまり、お宮とお寺にいだかれている。老いてはとかく物に倦みやすく、一人一草の簡素で事足りる。所詮私の道は私の愚をつらぬくより外にありえない。

  おちついて死ねそうな草萠ゆる

 山頭火は、一草庵をこのように表現している。
 お宮とは、御幸寺山麓にある護国神社であり、お寺とは一草庵を借りている御幸寺の西に竹薮を隔ててある龍泰寺である。一草庵での山頭火は、ゆうゆうと水の流れるごとく澄みきった心境で句作にうちこんだ。

  朝は澄みきっておだやかな流れひとすじ

  夕焼うつくしく今日一日つつましく

昭和15年10月11日未明、念願のころり往生を遂げた。享年59歳。