村上霽月邸跡


 
村上霽月邸跡 村上霽月

  栗の穂に鶏飼ふや一構 子規

 霽月こと村上半太郎の邸宅跡である。建物は長屋門,母屋,土蔵から成り,霽月はこの邸を「光風居」と名づけた。100年以上の建物といわれ,素封家らしい構えであった。

 明治28年(1895)10月7日,子規は人力車で,かねて案内のあったこの霽月邸を訪ねた。「散策集」に「宮に隣り,松林を負ひて,倉戸前いかめしき住居也」と書いてある。子規はここで歌,俳諧を談じ,食後,今出の浜を出て,村を一周して帰り,句稿を認めて夕方辞去した。

 この外に,明治27年11月内藤鳴雪がここを訪ねて終日俳談をし,また, 明治29年3月1日,夏目漱石に高浜虚子が同行してここを訪ねて「神仙体」と称する俳句を作り,文芸評論雑誌「めさまし草」巻三に掲載した。