常盤会は明治16年、旧松山藩主久松家による在京の旧藩子弟たちの学資援助組織として創設された。
明治20年12月には、給費生や松山出身の青年の便宜をはかるため、本郷真砂町18番地に「常盤会寄宿舎」が設置された。子規は,明治17年(子規17歳),創設されたばかりの常盤会第一期給費生に選ばれた。
給費生には,月七円の他,教科書代や旅費も支給された。明治20年2月,子規等常盤会給費生や在京の旧松山藩出身者たちの便宜をはかるため,常盤会は久松家より寄宿舎設立の許可を受け, 本郷真砂町の坪内逍遥の熟を買い取った。
同年11月30日に 「常盤会寄宿舎」の開舎式が行われた。初代監督には、子規の叔父にあたる服部嘉陳、次代監督には 内藤鳴雪がいた。
明治43年には,三代目として秋山好古が就任,大正2年には 四代目監督に勝田主計(しょうだ かずえ)が就任する。明治21年7月 秋山真之,山路一善,小川尚義らが,松山市古町の大林寺にて「青少年練成道場・松山同郷会」を結成。久松家の援助で ニ番町に会館を建設。
昭和12年「松山同郷会」会館を歩行町の秋山兄弟の生誕地に移す。現在この地には, 常盤同郷会柔道場の建物が残るのみである。
子規の学生生活は、明治16年から25年までの約10年間であり,この寄宿舎には21年9月から24年12月迄の約4年間を過ごした。
この間勝田主計・小川尚義をはじめ、郷友に恵まれた。