明治43年8月頃,漱石が予てから欲しがっていた吉田蔵沢の墨竹画を松山の森円月が送ったところ,一週間ほどして礼状と短冊が送られてきた。
いろいろの思出 (蔵沢の竹) 森 円月往年修善寺の重患後,胃腸病院にて静養して居られた時である。
僕は何がな病床の人を慰むる物をと考へしも,是ぞと良き思ひ付もなかったが,漱石の予てより蔵沢翁の竹を希望して居らるゝを知って居たので,当時僕の只だ一幅持合していた蔵沢の竹ー落欸もなく傑作でもないものであったがーを御見舞いの印として進呈したら,意外に悦ばれて,左の如き礼状を送られた。
大正6年12月12日発行の雑誌「渋柿」漱石忌記念号に掲載された森円月の回想